第三章 そして現代へ

2020年に改装した新宿アトリウム

1990年代、世界中と瞬時に情報をやり取りする、情報化・国際化の時代が到来しました。1991年には文部科学省において大学設置基準の大綱化がなされ、柔軟な学部学科編成が認められるようになりました。

工学院大学も時代の変化を敏感に察知し、1994年に大学院情報学専攻を、1997年に国際工学コースを新設。2001年には、理工系学部としていち早く国際基礎工学科を新設しました。国際的に通用する技術者の育成を目指した教育プログラムは、日本初のJABEE認定学科(技術者教育としての学習成果を評価する認定プログラム)として、対外的にも評価されました。

情報化・国際化を意識した教育改革は、2006年に情報学部・グローバルエンジニアリング学部の2学部新設へと発展。工学部1学部体制から、3学部体制となりました。

以降も時代の変化や、本学の強みを生かした学部編成に尽力し、2011年には日本初の建築学部を新設。2015年にはグローバルエンジニアリング学部、工学部の複数学科を統合した先進工学部を新設し、工学部・建築学部・情報学部の4学部体制が誕生しました。

平成初期の授業・実験

令和の授業・実験

イギリス カンタベリーへの留学

また、2014年には本学独自の学部留学プログラム、ハイブリッド留学を開始。まず海を渡ることを重視し、現地でも日本語で授業を行います。これまでに600名を越える学生が各国に留学し、時代に応じた国際教育によって、多様な人材が社会に羽ばたいていきました。

2009年、工手學校の系譜を引き継ぐ専門学校が、社会構造の変化に伴い、112年の歴史に幕を閉じました。

工学院大学専門学校 記念碑 誠実努力

工学院大学専門学校の淵源は、中堅技術者を養成する教育機関として、渡邊洪基、辰野金吾、古市公威などにより明治二十年築地に創設された工手学校である。昭和三年工学院と改称した本科が、昭和二十四年工学院専修学校となり、以降、小浪博校長などの尽力により工学院大学専修学校から工学院大学専門学校へと昇格する中で、実践的工業教育をとおして、我が国工業界の発展に寄与してきた。この間、学窓を巣立った卒業生は五万二千余名。これらの卒業生たちが営々と築いた伝統は、工学院大学に継承されている。

新宿キャンパスにある専門学校の記念碑

建設中の新宿キャンパス中層棟

建設中の八王子キャンパス5号館

新宿キャンパスの建設が進む昭和末期、伊藤鄭爾(ていじ)学長は、「八王子には他大学に負けない教育・研究機能を備える。これにより、初めて新宿が都心型大学として活きる」と、学園の将来像を示しました。1960年代に開設してからおよそ20年が経過した八王子校舎は、以降、更新整備が進められることとなりました。図書館の設計にも携わった武藤章教授(建築学科)が整備計画全体の設計・指導にあたり、1985年(昭和60年)に3号館、1986年(昭和61年)には高さ43mの5号館と高電圧実験室の入る10号館を竣工しました。同年12月には「工学院大学八王子校舎5~11号館落成記念式典」が行われ、多くの学園関係者が完成を祝いました。

スチューデントセンターと、厚生棟(手前)2007年頃

新宿キャンパスの再開発が落ち着いた1995年頃、学園は五か年計画を制定し、八王子キャンパスのより一層の設備拡充を目指しました。2000年代初頭にかけて、12号館や15号館(C3シーキューブ)、創立115周年記念体育館、18号館(スチューデントセンター)が相次いで竣工、21世紀の工学教育へ向けた環境整備が進みました。

ファサードが印象的な1号館

上左/図書館-2号館 上右/4号館実験室 下左/クリーンルーム-13号館 下右/無響室-10号館

2010年代以降、八王子キャンパスのリニューアルはさらに加速します。2012年の創立125周年記念事業で竣工した1号館は、外観のファサードが特徴的な建物で、新しい八王子キャンパスの顔となりました。一方で八王子キャンパス開設時からの1号館・2号館は取り壊され、東門バスロータリーから見える風景は大きく変わりました。

その後、2014年に機械実習施設の19号館(ふらっと)、2016年に先進工学部の実験室・研究室の入る4号館(あどらぼ)、2017年には図書館や情報学部の研究施設の入る2号館が竣工し、現在の姿となりました。

交通では、都市型と郊外型、2つのキャンパスをより密接につなぐため、2011年に通学用シャトルバスの運行を開始。新宿キャンパスから八王子キャンパスへ、45分で移動することが可能となり、東京・神奈川のほか埼玉や千葉など、多方面から学生が通学するようになりました。

現在のバスロータリーと新2号館

八王子校舎東門バスロータリーに
停車するシャトルバスと旧2号館(2011年頃)

震災直後の研究室の様子

新宿での帰宅困難者受け入れのようす(2011年3月11日)

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。春休みで、学内に滞在している学生はわずかでしたが、鉄道の運転見合わせにより、新宿駅は多くの帰宅困難者で溢れました。大学は当日、新宿キャンパスを帰宅困難者向けに開放し、約800人に一夜を過ごす場所と食事を提供しました。工学院大学は震災前から、建築分野における防災・減災研究に注力していました。震災後は、防災を専門とする研究室の教員・学生が日々の研究を活かした対応を行いました。

新宿キャンパス

かつて「日本初の高層ビルキャンパス」と注目を浴びた新宿キャンパスも竣工から四半世紀以上が経ち、キャンパスの顔となる入口フロアの改装が行われました。2015年には新宿駅から続く地下通路直結の地下1階ラウンジ、2020年には1階新宿アトリウムをリニューアル。新宿アトリウムは、常設では日本初となる稼働式の壁、キネティックウォールを備えた多目的学園ホールへと生まれ変わりました。教育、式典、学術利用の他、音楽、アート活動まで幅広く利用されています。

いずれの改装工事にも、意匠設計や空間演出に本学建築学部教員が関わり、時代に合わせた変化を遂げました。

2020年代、新宿駅西口の都市開発が進む中、新宿キャンパスでは創立150周年に向けたさらなるリニューアル計画が始動しています。

建学時から変わらない「工」の精神のもと、サステナブルな成長を続け、次世代を担うモノづくり人材を輩出し続けます。