地域魅力を発信する郡上八幡のまちづくり

郡上市教育委員会事務局 社会教育課

文化係長 学芸員(建築史)

齊藤 知恵子

1994年 工学部建築学科卒業

#KUTE VOICE

  • #活躍する卒業生
  • #建築系

工学院大学は1887年10月の創立以来、「社会・産業と最先端の学問を幅広くつなぐ『工』の精神」という建学の精神のもと、数多くの技術者を輩出してきた。卒業生は、大学や大学院での学びを活かしながら、多様な業界で活躍を見せている。


岐阜県郡上市教育委員会で町並みの保存活用に携わる齊藤 知恵子氏もその一人だ。今回は齊藤氏に、一筋縄ではいかなかったというこれまでのキャリアや、大学時代に得たもの、学生へのメッセージについて伺った。

歴史ある郡上市の街並み

横浜から郡上へ
人生の転機を迎えた2004年の春

岐阜県のほぼ中央に位置する郡上市は、2004年に7つの町村が合併し誕生した。日本三大盆踊りの1つで夏に30夜以上行われる「郡上踊(ぐじょうおどり)」や歴史ある町並みで知られている。 郡上市の中心市街地である八幡地区には近世以来の城下町の姿が保全されており、その景観から「奥美濃の小京都」とも言われている。市内を見渡すと、奈良時代以降の白山信仰にはじまり、人々の暮らしとともに悠久の時を刻んできた土地であることがうかがえる。

2004年の春、齊藤氏は郡上市の前身である郡上郡八幡町の採用試験を受け、合併したばかりの郡上市に、職員として入職した。実家が横浜市内にあり、職員採用試験の前日まで、郡上には訪れたことがなかったという齊藤氏。この土地と縁ができたのは、私淑している先生からのアドバイスがきっかけだった。

「私は工学院大学を卒業後、一度就職してから、首都圏にある国立大学の大学院で建築史を学びました。大学院を修了後は建築史という専門を活かせる仕事を探していましたが、自分の思い描く仕事にはつけず、横浜の実家で暮らしながら、非常勤の仕事で生計を立てていました。そんな中で、あるシンポジウムに参加した際、私淑している後藤治先生(現:学校法人工学院大学理事長)に声をかけていただきました。自分の状況をお話したところ、地方自治体で専門性を活かせる仕事があるということを教えてくださったんです」

恩師からのアドバイスをきっかけに岐阜県八幡町(現:郡上市)の採用試験に挑戦することを決めた齊藤氏。結果として無事に合格し、合併間もない郡上市役所で職員として働くこととなった。一度も暮らしたことのない土地で仕事をし、生活を営む。大きな不安にさいなまれてもおかしくない転機を迎えたが、齊藤氏はためらうことなく八幡町に来れたと当時を振り返る。

「もちろん、地元から離れる寂しさはありました。でも、採用試験を受けに八幡町へ来た際、町の中で15時になれば子どもたちが学校から帰ってくる姿が見られ、夕方になればスーパーの袋を下げて家路に急ぐ人々の姿が見られたことで、『この土地なら私も暮らしていけるかもしれない』と不安が消えたんです。すべての機能がコンパクトに収まった美しい町並みの中で、住民同士のあたたかな交流がある。この町ならではの魅力に惹きつけられ、入職を決意しました」

 

 

歴史ある郡上八幡で
学びを活かしたキャリアを重ねる

齊藤氏は入職後、都市計画係に配属された。念願の「専門性を活かした仕事」に従事することができ、大学や大学院での学びを活かしながら、町並みの保存に携わることとなった。

「入職直後から、自分の専門であり、興味関心の強い領域で仕事をすることができたのは、本当に幸運でした。都市計画係では、町の景観を保存するための基準の運用や、大学教授と連携した町の調査などを担当しました。その後、PTA事務など様々な業務経験を積み、現在の郡上市教育委員会での仕事に至ります。この先のキャリアで歴史と建築物の保存の両方を考えられる後進を育てていけるよう、これからの自分の役割を改めて考えていきたいと思っています」

齊藤氏が企画に関わった『郡上かるた』。まちの人々から募集した声をもとに、郡上市の魅力を詰め込んだ。

郡上で暮らし、仕事を始めてから、気がつけばすでに20年。齊藤氏は今日までに見つけた郡上市の魅力について、歴史や伝統などの観点からこのように語った。

「郡上市は、さかのぼれば奈良時代から人々がこの土地で生活を営み、信仰の拠点となる寺院がつくられ、戦国時代には八幡城を中心とした城下町として栄えてきました。その長い歴史の中では、ユネスコ無形文化遺産に登録された『郡上踊』という伝統的な民俗芸能も生まれました。7月中旬から1カ月ほど開催される郡上踊は、今なお多くの方を惹きつけ、国内外の観光客も踊りを通じた楽しげな交流を生み出しています。長くこの町に暮らしてきたからこそ、古くから続く歴史と伝統が郡上市独自の魅力をつくり出していると感じます」

齊藤氏は現在、そうした町の魅力に感化され、郡上市の歴史や伝統の一端に触れて楽しみながら充実したキャリアを重ねている。

郡上八幡城。昭和8年(1933年)に再建されて以来約90年、郡上の街を見守っている。

 

キャリア形成の原動力は
「本当に好きなこと」への追求

郡上市で、自身が最も好きだという建築史に関わる仕事をしながら、町での暮らしを自分らしく存分に堪能している齊藤氏。しかし、大学時代は、自分の中にある「好き」という気持ちよりも、世の中にある仕事の多さを重視して専攻を決め、就職活動を行っていた。

「父が建築関係の仕事をしていたこともあって、私も将来は理系に進み、建築を学びたいと考え工学院大学を進学先に選びました。大学では、大好きな建築史を学びたい気持ちもありましたが、私が学生生活を送っていた当時はバブル崩壊直後だったこともあり、将来の就職に困らないであろう建築設備を専攻しました。興味のあった分野だったので、大学卒業後は専門を活かし建築業界に就職をしました。その後、仕事で経験を積む中で、建築の歴史に関わる仕事への想いが強くなってきました。それで、一念発起して仕事を辞め、もう一度建築のことを深く研究するため、大学院で建築史を学ぶことにしました」

建築史を深く学ぶほど、専門性を活かした仕事に就きたい気持ちが強くなった齊藤氏。様々な可能性を考え「歴史的建造物の保存に専門家と一般の方をつなぐポジションとして携わる」という答えにたどり着いた。その目標を目指し、再び工学院大学の門を叩き、科目等履修生として学芸員課程に挑戦し、資格取得を目指した。

どんな学びも
決して無駄にはならない

齊藤氏は国立の大学院に在学した経験があるからこそ、工学院大学 建築学科の魅力をこのように語る。

「建築士の資格を取るためだけではない、多彩な学びが実現できる。それが工学院大学の建築の魅力だと思います。授業中にある先生が『資格を取りたいだけなら、資格取得をするための学校に行けばよい。ここは大学ですから、皆さんには幅広く学んでもらいます』とおっしゃっていたのをよく覚えています」

また、工学院大学の成り立ちや建学の精神に基づき、科学技術と一般社会を結びつける人材を今もなお輩出し続けていることも、工学院大学ならではの特徴だと指摘した。

「期日を守って図面を描く。希望する専攻に関係なく、建築の学生であれば誰でも石膏デッサンに取り組む。そうした指導やカリキュラム、幅広い研究活動を通じて、社会の中で様々な人を巻き込みながら活躍できる人材を育てているのが、工学院大学の良さだと思います」

最後に、学生へのメッセージについて尋ねると、齊藤氏は自身の学生時代を振り返りながら、このような言葉を紡いだ。

「学生の皆さんには、将来の夢に関係なく、大学で行われる一つひとつの授業を大切にしてほしいです。工学院大学で行われる授業や研究活動は、どれも社会で役立つ経験となることでしょう。皆さんが社会に出たとき、きっと『これは大学で触れたことがある』と感じる内容が出てくるはずです。私自身、卒業に必要な授業だけでなく、興味のある授業をたくさん履修しました。その結果、英語以外に履修したドイツ語や都市防災・減災の授業で学んだ内容は、今でも記憶に残っていますし、仕事で役に立つこともあります。大学での経験は決して無駄になることはありませんから、ぜひ学生生活を謳歌して、たくさんのことを学びとってください」


郡上市
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