夢を叶える「かきくけこ」

夢を叶える「かきくけこ」

伊藤慎一郎学長インタビュー
2021 / 04 / 07
2021年4月に工学院大学の学長に就任した伊藤慎一郎先生。
「流体力学」でスポーツの常識を打ち破ってきたユニークな研究のこと、生き物に魅せられた少年時代から現在、さらに、学長として目指すこれからの大学の姿など、さまざまなトピックスについて伊藤先生にお話を聞きました。
スポーツの流体力学を研究する伊藤慎一郎学長
スポーツの流体力学を研究する伊藤慎一郎学長

競泳界の常識を変える“スッポン泳法”とは!?

この春から工学院大学の学長を務める伊藤慎一郎先生。
「スポーツ」×「流体力学」を主な研究テーマとする伊藤学長は、数々のTV番組にも出演する工学院大学の名物教授。
その名が広く世に知られるようになったきっかけが、スッポンとの出会いでした。

伊藤学長:
私は30代の終わりから生き物の流体力学を研究しているのですが、あるとき『所さんの目がテン!』というテレビ番組から『スッポンとクサガメの違いを教えてください』という依頼がありました。
最初はスッポンとクサガメを2週間ほど預かり、泳ぎの違いなどについて分析したのですが、これが面白いんです。
1年ほど預かる期間を延長させてもらい、それぞれの泳ぎを解析し、数式化する研究を続けることにしました。
この研究でわかったのは、スッポンの推進運動には『最小エネルギーモード』と『最大速度モード』の2種類があるということ。人間でいうと前者が『歩く』で後者が『走る』ですね。
伊藤学長が昨年飼っていたスッポン。生き物を研究するうえで、観察はとても大切だ
この2つのモードを人間にも泳ぎに置き換えられないだろうか、と考えた伊藤先生は、さっそくクロールの泳ぎ方を流体力学的に分析することに。
その結果、手のひらで水を切るように泳ぐ「S字泳法」が「歩く」であるのに対し、手のひらで水をまっすぐ押すようにかく「I字泳法」が「走る」であることが判明。
さらに「I字泳法」は「S字泳法」に比べて2.4%のエネルギーロスがあるものの、推進力が11.1%増加するという計算結果から、短距離の自由形では「I字泳法」のメカニズムが最適という理論を導き出しました。

「I字泳法」「S字泳法」の図説
伊藤学長:
「I字泳法」自体は昔からあったものですが、当時の競泳界では速いピッチの「S字泳法」で泳ぐことが主流でした。
ただ、当時の世界チャンピオンだったイアン・ソープだけは泳ぎ方が独特で、「ゆっくり水をかいているのに、なんで速いんだろう?」と言われていたんです。
実はこれが「I字泳法」に非常に近かった。イアン・ソープがいなければ私の理論は、机上の空論で終わっていたかもしれませんね。
最多金メダリストのマイケル・フェルプス氏と記念撮影。徐々に競泳界に伊藤教授の名が知られていった
その後、伊藤先生が推奨する泳ぎ方はテレビ番組などでも頻繁に紹介され、「スッポン泳法」と呼ばれるように。
今や世界中のスイマーが取り入れる競泳界の“新常識”となっています。

39歳の転換。生き物への好奇心を胸に

生き物の動きを流体力学の観点から分析し、人間のスポーツに応用する。
ユニークな専門領域で活躍する伊藤先生ですが、最初から現在の研究を行っていたわけではありません。

東京大学工学部機械工学科で流体力学を学んだ伊藤先生は、修士課程修了後に大手自動車メーカーに入社。工場に配属されるも「私には向いていない」と1年で退社。東京大学の博士課程に戻った後に防衛大学校の教員となり、舶用プロペラ(スクリュー)などの機械の流体力学を専門としてきました。

そんな研究生活に大きな変化があったのが、39歳のときのこと。

伊藤学長:
機械の流体力学は成熟した分野なので、スクリューやポンプの効率を1%上げるために研究をします。それはそれですごく意味のあることですが、重箱の隅をつつくような話でつまらないな、と(笑)。
研究者になったからには、やはり自分が面白いと思えることをしたい。そう考えて、39歳でそれまでの研究をばさっと全部捨てて、生き物の流体力学を一から始めることにしました。
少年時代から猫や犬、インコなどに囲まれて育ってきた伊藤先生には、幼い頃から「生き物を扱う科学者になりたい」という夢があったといいます。

伊藤学長:
生き物には心があるし、見ていると「なんでだろう?」と思うようなことがたくさんあって楽しいんです。39歳のときの決断の根底にあるのは、ずっと胸に秘めていた「生き物を扱いたい」という思い。そこに流体力学の知識を加えることで、新しい研究ができると思いました。
実際に一歩足を踏み出してみると、生き物の流体力学という分野はだれも研究していないブルーオーシャンでした。研究のネタがごろごろあって、新しいアイデアも次々浮かぶ。それはそれは気持ちよく研究できました。
少年時代に飼っていた犬とチャボ。生き物に囲まれて育った
そう言って穏やかに微笑む伊藤先生ですが、未開の分野だけに困難も。
たとえば限られた予算のなかで実験を行うために、自腹を切って実験機材を手作りすることも多かったそうです。

伊藤学長:
当時勤めていた大学では、研究室の予算や人材は限られていて、工夫してやりくりしていく必要がありました。
ですから、普通の大学の先生はそんなことしないんですけど、機材をひとりで作って実験する。そんな日々が20年くらい続きました。
当時は大変でしたが、あの経験は私にとって大きな糧になっています。ありとあらゆる失敗をしているから、どんな実験だって怖くないし、学生が実験でトラブルに直面したときもすぐにアドバイスできますから。あの日々があるから、今の私があるのだと思います。
当時勤めていた防衛大学校では、海上自衛隊の飛行機に乗せてもらったことも
そんな研究生活の積み重ねで、「スッポン泳法」をはじめ、世界を驚かす研究成果を上げてきた伊藤先生。自身の経験から学生に伝えたいことは、「夢を持つこと」と「準備を怠らないこと」の大切さだといいます。

伊藤学長:
私自身、「生き物を扱いたい」という夢があって、それが39歳のときに流体力学と結びつきました。
少しくらいフラフラしても、遠回りしてもいいから、学生のみなさんにも遠くの夢をじっと見据えて、そこに向かうための準備をしていってほしいですね。そうすれば、目の前にチャンスがやってきたときにそれを掴み、花を咲かせることができますから。
学生のみなさんには 夢を叶える「かきくけこ」を実践してほしいと伝えています。
「か」書いてみる。
「き」期限を決める。
「く」口に出す。
「け」計画を立てる。
「こ」行動する。
やってみると、夢がぐっと現実味を帯びますよ。

就職や進学などの目先のことだけでなく、40歳、50歳になったときの自分がどうありたいのか。そんな未来予想図を描いておくことが、夢に近づく一歩になると伊藤先生は話します。

学生の心が躍る場所へ

さて、この春から学長となった伊藤先生は、工学院大学をどのような大学にしていくのでしょうか。まずは、柔軟な学び方を実現と言います。

伊藤学長:
昨年からコロナ対策として遠隔授業が行われていますが、遠隔授業には遠隔授業の良さがあります。たとえば午前は遠隔授業を中心に時間割を編成すれば、キャンパスが家から遠い学生も無理なく通えるかもしれません。みんなでアイデアを出し合いながら、より柔軟に学ぶための時間割の見直しなどを進めていきたいと思っています。
2021年度授業は、対面と遠隔を併用。4月からキャンパスに活気が戻った
学生にとっても教員にとっても「明るく、風通しの良い大学にしたい」と伊藤先生。最後に、学長として今胸に抱く、新たな夢についても教えてくれました。

伊藤学長:
私の夢は、工学院大学を学生にとって、心が踊るような学びの場にすることです。
明治時代、工学院大学の前身である工手学校創設当時の学生は、とてもハングリーで学校の授業に食いついていて、休むのはもったいないという状況だったそうです。
それぞれの学生に目的があり、同じ目的を持った仲間がいる。当時の工手学校はそんな場所だったと思います。
時代は変わり、その頃よりもハングリー精神は薄れているかもしれません。それでも、工学院大学が、学問と向き合い、仲間を作る拠点であることに変わりはありません。
実際に今、私の研究室の多くの学生は、自発的に研究室に来てくれます。卒業したのに、就職先があるのに、まだ研究室に入り浸っている学生もいます。 さぼるのがもったいなくて楽しく学べる場所。すべての学生にとって、大学がそんな場所にすることが、私の今の夢です。